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牧義珍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 20:15 UTC 版)

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牧 義珍(まき よしたか、明和4年(1767年) - ?)は、江戸時代後期の旗本。官途は従五位下、備後守・丹波守。通称は又太郞、次いで七左衞門、助右衛門。妻は前田長皓の娘、生駒親睦の娘、榊原長里の娘。石高1200石。牧長賢(牧義陳養子。実父は榊原長國)の子。子に牧義利。

寛政8年(1796年)12月18日に家督を継ぐ。寛政10年(1798年)5月西丸小姓組番士、文化3年(1806年)1月11日使番となり、文化9年(1812年)7月4日駿府目付代を経て、文化10年(1813年)4月24日に目付となる。文政2年(1819年)12月8日より京都町奉行、文政8年(1825年)6月15日に田安家家老、天保8年(1837年)12月22日留守居となり、天保15年(1844年)4月15日、老衰により職を辞した。

参考文献

  • 西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース(岩瀬文庫蔵)
  • 『寛政譜以降旗本家百科事典』第5巻(東洋書林、1998年) p.2491-2492



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