牧田甚一
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牧田 甚一(まきた じんいち、1892年 <明治25年> 2月27日 - 1986年 <昭和61年> 11月12日)は、日本の経営者。熊谷組社長、会長を務めた。鳥取県倉吉市出身[1]。位階は従四位。
経歴・人物
1912年に岩倉鉄道学校建築科を卒業し、1915年に飛島組に入社[1]。1938年に熊谷組の設立に携わり、専務に就任し、1959年3月に副社長に就任し、1967年12月には社長に昇格[1]。1978年12月に会長に就任[1]。
1955年7月に藍綬褒章を受章し、1974年に勲三等旭日中綬章を受章[1]。
1986年11月12日急性心不全のために死去[2]。94歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。
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