熊谷市立吉見小学校とは? わかりやすく解説

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熊谷市立吉見小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 10:21 UTC 版)

熊谷市立吉見小学校
北緯36度05分17秒 東経139度24分47秒 / 北緯36.08809度 東経139.41303度 / 36.08809; 139.41303座標: 北緯36度05分17秒 東経139度24分47秒 / 北緯36.08809度 東経139.41303度 / 36.08809; 139.41303
過去の名称 1. 冑山学校
2. 冑山小学校
3. 吉見尋常小学校
4. 大里村立吉見小学校
5. 大里町立吉見小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県熊谷市
設立年月日 1873(明治6)年8月15日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B111220200200
所在地 369-0105
埼玉県熊谷市箕輪字北廊7番地
外部リンク 熊谷市立吉見小学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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熊谷市立吉見小学校(くまがやしりつ よしみしょうがっこう)は、埼玉県熊谷市にある公立小学校である。

沿革

  • 1873年(明治6年)8月15日 - 冑山学校として、武蔵国熊谷県大里郡冑山村賢木ヶ丘(現在の埼玉県熊谷市冑山)に創設される。根岸武香が学校置立掛と学区取締として、学校設立の中心となった。学区は、大里郡冑山村、小八ッ林村、箕輪村、相上村、玉作村、津田村、向谷村、比企郡大谷村、東平村、野田村、山田村、岡郷村の12村であった。学区が広範囲に及んだため、四つの分校が置かれ、第一分校に大谷村と山田村、第二分校に津田村と向谷村、第三分校に東平村、第四分校に野田村の児童がそれぞれ通学した。
  • 1885年(明治18年)3月 - 第三次教育令公布により、各分校が独立した。
  • 1889年(明治22年)4月 - 7村の合併により大里郡吉見村が発足。同村の全域(大字冑山、小八ッ林、箕輪、相上、玉作、津田、向谷)が学区となり冑山小学校に改称される。
  • 1893年(明治26年)6月 - 吉見尋常小学校に改称される。
  • 1922年(大正11年) - 吉見村大字箕輪北廊遺跡に移転される。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 市田村との合併により大里郡大里村が発足。大里村立吉見小学校に改称される。
  • 1986年(昭和61年) - 校舎改築。その際の発掘により、多量の縄文土器弥生土器の破片と、多数の縄文時代弥生時代遺構が検出された。
  • 2002年(平成14年)4月 - 町制施行により大里町立吉見小学校に改称される。
  • 2005年(平成17年)10月 - 熊谷市との合併により熊谷市立吉見小学校に改称される。
  • 2015年(平成27年) - 第82回NHK全国学校音楽コンクール:関東甲信越ブロックの埼玉県小学校の部で奨励賞を受賞[1]

校是

以和為貴

学校教育目標

  • かしこく、やさしく、たくましく
  • よく学ぶ子 信頼され、思いやりのある子 みんなで頑張る子

校区

  • 熊谷市相上、冑山、小八林、箕輪、船木台、玉作、津田、向谷。

主な卒業生

脚注

  1. ^ 埼玉県コンクール大会結果・小学校の部 Nコン2015(第82回NHK全国学校音楽コンクール)公式サイト

関連項目

外部リンク




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