熊の崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 02:39 UTC 版)
斜里町のウトロ地区入口にある、トビニタイ文化期のチャシコツ岬下B遺跡から2005年、ヒグマを祭祀に用いた痕跡と思われるヒグマの骨が発見された。これにより、擦文文化には見られなかった一方でオホーツク文化には存在した熊崇拝は、トビニタイ文化を経由してアイヌ文化にもたらされたのではないかとの見方も浮上している。一方、文献上で確認される熊崇拝に関する記述は『津軽一統志』におけるシャクシャインの戦い時のものであることなどから、熊崇拝をトビニタイ文化から直接アイヌが受容したものではなく、アイヌの樺太進出以降に長い時間をかけ受容されたものとする中村和之の見解もある。
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