滋賀県庁移転問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 01:24 UTC 版)
1885年(明治18年)頃より大津から彦根への県庁所在地移転運動が、彦根を中心に激しく行われていた。これに対し、逸治郎は県会議長であると共に、県南部出身議員の一人として大津県庁維持派の有力者であった。1892年(明治25年)2月滋賀県庁移転を論ずる議会当日は、抜き身の太刀を持つ壮士等が大挙傍聴人として詰めかけるなど、一触即発の状況にあった。それを聞きつけた内務卿品川弥二郎は、県議会解散を命じ数で勝る移転派を抑え大津県庁を存続させた。
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