源長寺 (羽生市)とは? わかりやすく解説

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源長寺 (羽生市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 04:05 UTC 版)

源長寺
所在地 埼玉県羽生市藤井上組1274
位置 北緯36度10分49.8秒 東経139度32分51.5秒 / 北緯36.180500度 東経139.547639度 / 36.180500; 139.547639座標: 北緯36度10分49.8秒 東経139度32分51.5秒 / 北緯36.180500度 東経139.547639度 / 36.180500; 139.547639
山号 大鷲山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 室町時代末期
開基 木戸忠朝
中興年 安土桃山時代
中興 鷺坂(不得)道可
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源長寺(げんちょうじ)は、埼玉県羽生市にある曹洞宗寺院

歴史

室町時代末期、木戸忠朝の開基である。忠朝は羽生城城主だったが、1574年天正2年)に後北条氏の猛攻に耐え切れず退去した。その忠朝が城主だった頃に当寺を創建した[1]

1590年天正18年)、徳川家康関東地方に転封された際に、大久保忠隣は羽生領の領主となった。ただ忠隣は羽生城には入城せず、城代として鷺坂(不得)道可を任じた。道可は忠朝の元家臣であった。旧主の忠朝やその家臣の菩提を弔うべく、忠朝が創建した当寺を中興した[1]

当寺の門は二つあり、そのうちの一つが山門鐘楼が一体化した「鐘楼門」である。関東地方では珍しいもので、他には同県久喜市宝聚寺の門があるくらいである[1]

文化財

  • 不得道可夫妻画像(羽生市指定有形文化財 昭和48年7月1日指定)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年、20-21p
  2. ^ 羽生市の指定文化財羽生市

参考文献

  • 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年



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