満福寺住職として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:46 UTC 版)
但馬国城崎郡湯島の素封家・山本旅館の出身。幼くして但馬国の名刹・満福寺に入山。僧名は「弘元」。天明元年(1781年)、24歳の時、高野山塔頭にて勉学修行を行い寛政7年3月26日(1795年5月14日)、中流院の伝授を受ける。満福寺の第50世を継ぐも求道のため、弘仁上人に代を譲る。石和庄亀岡山松尾寺を道場として、阿闍梨律師・等空ら受者21人に中流院を伝授する。弘仁上人が文化2年(1805年)に早逝したため、満福寺第52世として再び住職になる。『史記評林』25冊を購入し子弟に講義を行った。
※この「満福寺住職として」の解説は、「弘元」の解説の一部です。
「満福寺住職として」を含む「弘元」の記事については、「弘元」の概要を参照ください。
- 満福寺住職としてのページへのリンク