満昌寺_(横須賀市)とは? わかりやすく解説

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満昌寺 (横須賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 06:01 UTC 版)

満昌寺
所在地 神奈川県横須賀市大矢部1-5-10
位置 北緯35度14分28.6秒 東経139度39分59.1秒 / 北緯35.241278度 東経139.666417度 / 35.241278; 139.666417座標: 北緯35度14分28.6秒 東経139度39分59.1秒 / 北緯35.241278度 東経139.666417度 / 35.241278; 139.666417
山号 義明山
宗派 臨済宗建長寺派
本尊 宝冠釈迦如来
創建年 建久5年(1194年
開基 三浦義明(実質的には源頼朝
中興年 寛延2年(1749年
中興 仏心禅師
文化財 木造三浦義明坐像(重要文化財)他
公式サイト 満昌寺-臨済宗建長寺派義明山満昌寺
法人番号 5021005008030
満昌寺
満昌寺 (神奈川県)
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満昌寺(まんしょうじ)は、神奈川県横須賀市にある臨済宗建長寺派寺院

歴史

1194年建久5年)、三浦義明の開基である。ただ実際の創建者は源頼朝である。頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵したものの石橋山の戦いに敗北した。義明の子義澄は頼朝軍に合流しようとしたが増水で不可能になったため一旦衣笠城に籠城、義明は一族の者を城から退避させた後に討死した(衣笠城合戦)。頼朝は鎌倉幕府の礎となった老将の菩提を弔うべく、義明を開基とする寺を創建したのである[1]

本堂前にある大木は、頼朝お手植えの木とされている[2]

1705年宝永2年)に火災に遭ったため、1749年寛延2年)に仏心禅師のよって再建された[1]

文化財

  • 木造三浦義明坐像(重要文化財 平成5年1月20日指定)[3]
  • 木造天岸慧広坐像(横須賀市指定重要有形文化財 昭和44年8月11日指定)[4]
  • 木造宝冠釈迦如来坐像(横須賀市指定重要有形文化財 昭和57年4月26日指定)[5]
  • 石造双式板碑(横須賀市指定重要有形文化財 平成13年1月25日指定)[6]
  • 満昌寺襖絵(横須賀市指定重要有形文化財 平成20年3月10日指定)[7]
  • 伝三浦義明廟所(横須賀市指定史跡 昭和48年1月10日指定)[8]
  • 薬王寺旧跡(横須賀市指定史跡 昭和48年1月10日指定)[9]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 沿革満昌寺
  2. ^ 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年、224-225p
  3. ^ 木造三浦義明坐像文化庁
  4. ^ 木造天岸慧広坐像横須賀市
  5. ^ 木造宝冠釈迦如来坐像横須賀市
  6. ^ 石造双式板碑横須賀市
  7. ^ 満昌寺襖絵横須賀市
  8. ^ 伝三浦義明廟所横須賀市
  9. ^ 薬王寺旧跡横須賀市

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年

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