渡邊熊四郎_(2代)とは? わかりやすく解説

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渡邊熊四郎 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 09:06 UTC 版)

2代渡邊 熊四郎[1]渡辺熊四郎、わたなべ くましろう[2]1847年2月15日弘化4年1月1日[3] - 1916年大正5年)9月28日[4])は、日本実業家慈善家渡邊合名会社代表社員[3][5]百十三銀行、箱館貯蓄銀行各取締役[3][5]。族籍は北海道平民[3][5]。谷地頭運動場、千代ケ岱小学校建築のため敷地や資金を提供した。

人物

肥前国長崎生まれ[1][2]。渡邊重吉の五男[1][3][5]。幼名は音吉[2][6]明治初年箱館に渡航し、渡邊家の養子となる[6]1896年家督を相続し、前名音吉を改称する[3][5]舶来物の販売に従い、余業第百十三、箱館貯蓄の二銀行の経営に参与する[6]

1906年、渡邊合名会社を組織する[4]。洋物店、洋酒缶詰店、時計店、砂糖店、薬種店、洋服店等を経営する[2]。箱館区会議員、学務委員、鶴岡学校理事長などをつとめる[1]。谷地頭運動場、千代ケ岱小学校建築のため敷地や資金を提供する[4]。住所は箱館末広町[3][5]

家族・親族

渡邊家

脚注

  1. ^ a b c d e 『函館市功労者小伝』36 - 37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月13日閲覧。
  2. ^ a b c d 『北海道人名辞書』243頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『人事興信録 第3版』わ38、41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月13日閲覧。
  4. ^ a b c 渡邊 熊四郎とはコトバンク。2021年12月13日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』わ21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年3月6日閲覧。
  6. ^ a b c d 『大正人名辞典』1215頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月13日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』北海民論社、1923年。
  • 函館市編『函館市功労者小伝』函館市、1935年。



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