渡江勝利紀念館とは? わかりやすく解説

渡江勝利紀念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/02 09:24 UTC 版)

渡江勝利紀念館
挹江門
各種表記
繁体字 渡江勝利紀念館
簡体字 渡江胜利纪念馆
拼音 Dùjiāng Shènglì Jìniànguăn
テンプレートを表示

渡江勝利紀念館(とこうしょうりきねんかん)は中華人民共和国江蘇省南京市鼓楼区に位置する記念館である。2009年に移転するまでは南京城北西部の挹江門の楼閣を利用していた。

挹江門は1921年に建築された当初は海陵門と称され、アーチも単独の構造であった。1929年中華民国臨時大総統であった孫文の棺を陵墓である中山陵に運搬する際にアーチを3つに改造し名称も挹江門と改称された。

国共内戦が激化し遼瀋戦役淮海戦役平津戦役三大戦役中国語版後の1949年4月21日、鄧小平劉伯承陳毅粟裕譚震林らが指揮する中国人民解放軍第2野戦軍(旧中原野戦軍)と第3野戦軍(旧華東野戦軍)の120万兵力が長江渡河し長江防御線を突破、1949年4月23日に挹江門より南京入城を果たし南京をその支配下に置いた(渡江戦役)。

1984年4月23日の南京解放35周年に併せ挹江門の楼閣を面積1200平方メートル、展示面積436平方メートルの渡江勝利紀念館として開館。館内には国共内戦当時の迫撃砲が展示されており、他にも当時の命令書など国民党との内戦の資料が展示されていた。挹江門から中山北路を城外へ進むと1982年3月に江蘇省文物保護単位に指定された渡江勝利紀念碑がある。

渡江勝利紀念館は1993年に南京市青少年教育陣地に指定され南京における共産党史を学習する重要教育地点とされている。2005年4月19日に下関区政府、区旅游局、区文化局より渡江勝利紀念館の改築及び移転計画が発表され、2009年に規模を拡大して秦淮河長江に注ぐ地点付近に移転した。

入館料

4元(2004年現在)

座標: 北緯32度04分33秒 東経118度43分35秒 / 北緯32.07594度 東経118.72643度 / 32.07594; 118.72643





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

渡江勝利紀念館のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



渡江勝利紀念館のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの渡江勝利紀念館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS