清水酒造
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清水酒造店内(醸造設備)
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | ![]() 〒252-0157 神奈川県相模原市緑区中野1322 北緯35度35分16.8秒 東経139度15分4秒 / 北緯35.588000度 東経139.25111度座標: 北緯35度35分16.8秒 東経139度15分4秒 / 北緯35.588000度 東経139.25111度 |
設立 | 1954年 (1751年創業) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 5021001016144 |
事業内容 | 清酒、リキュール、酒粕の製造販売 |
代表者 | 代表取締役 清水 太郎 |
外部リンク | http://www.shimizusyuzo.com/ |
清水酒造(しみずしゅぞう)は、神奈川県相模原市緑区に本社を置く酒造メーカー。宝暦年間(1750年代)に創業した。1998年(平成10年)時点で神奈川県に16社あった酒造メーカーのうち[1]、もっとも古い歴史を持つ酒造会社である[2]。
代表銘柄
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巌乃泉 ()
歴史

清水家の本家は半農半士の八王子千人同心であり、初代が分家して酒造りを始めた[5]。
創業は宝暦元年(1751年)とされているが、宝暦は初代が亡くなった元号であるため、元禄の創業である可能性もある。創業の地は相模原の相原であり、相原は当時「蔵屋敷」という地名で酒蔵が4軒あったそうである[5]。
その後、さらに良い水を求めて、1867年(明治初年)、6代目の時に津久井に移ってきた。津久井における酒蔵のある場所は、天明7年に起きた「土平治の騒動(どへいじのそうどう)」に伴い廃屋となっていた醤油屋を買いとった土地であるとのことである[5]。
津久井の地で、本格的な酒造業として登録したのが1877年(明治10年)。この当時は、升の中に一の字を書いて「イチマス」という銘柄をつくっていた[6]。
このイチマスは、8代目当主の名であった巖にちなんで、現在の代表銘柄である「巖乃泉」に変わる[6]。
法人化して株式会社になったのは1954年(昭和29年)。
特徴

9代目当主の社長・清水太郎は1990年代、神奈川新聞社の取材に対し「しばらくしたらまた飲みたくなるような酒、いわゆる〈尻がはねる〉〈尻ピン〉の酒を目指している」とその醸造方針を述べ[3]、ライトタイプの酒を得意とする[7]。
仕込みに使う水は、良質な水の確保に特に気を遣い、かつては1代ごとに1本の井戸を掘った。9代目の1990年代には[2][3]、仕込みに使う水は、約50メートル地下からくみ上げた硬度2.4の軟水で、無菌状態まで精製して使用する[3]。
米は主には兵庫県産の山田錦を使用し、外硬内柔と称される蒸米の工程を行い、雑味が少なく香り高い酒に仕上げる[8]。
評価
「巌乃泉大吟醸」は、2003年(平成5年)度の全国新酒鑑評会金賞、モンドセレクションのゴールドメダルを1990年代に3年連続受賞、受賞実績において日本を代表する銘柄のひとつに数えられる[3]。
現地情報
脚注
- ^ 山成 1998, p. 12.
- ^ a b 山成 1998, p. 89
- ^ a b c d e 山成 1998, p. 90
- ^ 山成 1998, p. 91.
- ^ a b c アゴラさがみはら編集委員会『市民がつくる総合雑誌 季刊アゴラ 第45号(2008年夏号)【特集 相模原の食を掘る】』アゴラさがみはら編集委員会、2008年、12頁。国立国会図書館サーチ:R100000001-I14231389259。
- ^ a b 相原 1994, p. 178
- ^ 山成 1998, p. 92.
- ^ N Drive編集室、相模女子大学小泉ゼミ『N Drive 相模原LOVE:相模女子大学×ていねいを探す旅』中日本エクシス株式会社、2017年10月、2頁。
- ^ a b 内田 2021, p. 11.
参考文献
- 相原精次『かながわの酒 : 地酒「神奈川物語」の誕生』彩流社、1994年8月。 ISBN 4-88202-316-4。全国書誌番号: 95011495。
- 山成健治『かながわの地酒』 56巻、神奈川新聞社〈かもめ文庫〉、1998年10月。 ISBN 4-87645-241-5。全国書誌番号: 99067075。
- 内田潤『かながわ酒蔵探訪』神奈川新聞社、2021年11月。 ISBN 978-4-87645-659-8。全国書誌番号: 23634020。
関連項目
外部リンク
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