消防署の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 00:13 UTC 版)
北の大火以前、大阪市の消防は大阪府警察部が消防の指揮、事務を行い、費用は大阪市が負担する形で運営されていた。北の大火は大阪市の消防活動についての課題を浮き彫りにし、消防の抜本的な改革を行うべきとの声が高まった。まず1909年(明治42年)11月、大阪市会は消防士の増員と消防設備充実のための予算措置を決議した。 当時すでに東京市では消防署は独立した組織となっており、1910年(明治43年)3月に政府は勅令「大阪市消防規定」を公布し、4月1日より施行された。「大阪市消防規定」によって消防の経費は大阪府の負担となり、当時の警察の経費と同じく費用の6分の1は国庫補助がついた。そして大阪市には東・西・南・北の4消防署と2つの消防分署が設けられた。消防署は組織的には大阪府警察部に属したが、長として消防専任の警視が置かれ、やはり専任の消防士、消防機関士らを指揮するようになって、消防署は警察署から独立した組織となった。
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