海部壮平とは? わかりやすく解説

海部壮平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/31 19:20 UTC 版)

海部 壮平[1](かいふ そうへい、1847年9月22日弘化4年8月13日) - 1895年(明治28年)10月1日)は、幕末の尾張藩藩士、明治時代の養鶏家。名は「荘平」と表記する資料もある[2]

経歴

尾張藩士の海部左近右衛門の子として生まれたが、明治時代になり1870年(明治3年)には世禄を奉還し、東春日井郡池之内(現小牧市)に移住した[2]。身分と職を失いよろずやを開業したが借金がかさみ、弟の海部正秀(1852年-1921年)から養鶏を勧められた[1]。試行錯誤の末、1882年(明治15年)頃には経営は順風満帆となっていたものの鶏コレラで全滅[1]

1888年(明治21)年に同志で愛知種鶏場を設立[2]。弟の正秀らとともに地鶏と中国産のバフコーチンを掛け合わせ、名古屋コーチンを作出した[1][3](正式な品種名は「名古屋種」[1]で当初は改良「薄毛」と名付けられたが1919年に改名した[2])。

家系

脚注

  1. ^ a b c d e 小牧で生まれた名古屋コーチン”. 小牧市. 2024年12月31日閲覧。
  2. ^ a b c d 海部荘平・正秀兄弟”. 愛知県総合教育センター. 2024年12月31日閲覧。
  3. ^ 海部壮平』 - コトバンク




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