近藤たまとは? わかりやすく解説

近藤たま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 13:43 UTC 版)

近藤たまこんどう たま文久2年(1862年[注釈 1] - 明治19年(1886年6月28日)は、明治時代の女性。新選組局長近藤勇の娘。母は松井つね。名は主にと表記。

来歴

文久3年(1863年)に父・勇が浪士組として京都へ出立し、後に新選組を結成。勇は池田屋事件などで名を轟かせたが、戊辰戦争が勃発したため新政府軍により斬首に処せられた。たまは当時6歳。許嫁の宮川勇五郎(音五郎の次男)、母・つねと共に本郷村成願寺に隠れ住んでいた[2]

維新後は、伯父(勇の兄)・宮川音五郎に引き取られ、明治9年(1876年)に許嫁の勇五郎と結婚。勇五郎は近藤姓を継ぎ近藤勇五郎となる。

明治16年(1883年)、長男・久太郎を出産し、3年後に他界。享年25。

死後

勇五郎は再婚したが、明治38年(1905年)に久太郎が日露戦争で死亡したため、近藤勇の嫡流子孫は途絶えた。

脚注

注釈

  1. ^ 赤間倭子は「近藤勇の妻おつね」で生年月日を文久2年2月15日としているが、釣洋一は「2月15日は近藤勇五郎の後妻・タヨの誕生日を流用した虚構である」と指摘している[1]

出典

  1. ^ 釣洋一『新選組秘録』新人物往来社、1976年、p.92。
  2. ^ 赤間倭子. “物語・成願寺と新選組”. 多宝山成願寺. 2016年6月1日閲覧。




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