海外研究所とパラオ移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 10:03 UTC 版)
「大宜味朝徳」の記事における「海外研究所とパラオ移住」の解説
大宜味は「海外研究所」を創立すると、ハワイやペルーなどを訪ね、海外に移住した沖縄同胞の実態を調査して移民奨励運動を行い、自身も1940年(昭和15年)にパラオに移住し、農場の経営に乗り出した。同地ではパラオ大政翼賛会青年部長を務めたが、軍とトラブルになったことから「国」や「軍」に不信感を抱くようになった。1945年(昭和20年)、南洋より引き揚げ、故郷の泡瀬に戻った。
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