浪岡具統とは? わかりやすく解説

浪岡具統(なみおか ともむね) ????~1555

弾正少弼
◇父:浪岡左中将具永 子:浪岡具運  
 浪岡御所北畠氏8代当主八戸氏津軽進出伴って所領を拡げ、大光寺氏大浦氏と共に津軽分割統治した。その後八戸氏支配から離脱図って三戸氏親密になり、“三戸の軛”と呼ばれた。また1546年には、弟具信により断絶していた河原御所復興されている。

浪岡具統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 07:13 UTC 版)

 
浪岡具統
時代 戦国時代
生誕 永正6年(1509年
死没 不詳
別名 浪岡御所
官位 従五位下弾正少弼侍従
氏族 浪岡氏
父母 父:浪岡具永
兄弟 具統具信
具運顕範
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浪岡 具統(なみおか ともむね)は、戦国時代の武将。陸奥国の名族浪岡氏の第8代当主。

生涯

父具永の代に築かれた基礎をもとに勢力を拡大し、浪岡氏の最盛期をもたらした。しかし寺社修復などの文化面に力を入れたことで財政面で困窮を招き、浪岡氏の衰退の遠因も作ったという。

没年について

天文21年10月3日1552年10月20日[1]に死去されたとしてきた。 平成23年『補略』と総称される公家名簿の史料郡が学会に相次いで紹介され、父・具永、子・具運が死没されたとした年以降も生存を認識されており、河原御所の乱で殺害されたのは補略に記載がない浪岡具統である可能性が高いとしている。[2]

系譜

脚注

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  1. ^ 『青森県史』
  2. ^ 赤坂恒明 「最北に栄えた”南朝北畠系”の堂上公家」(日本史史料研究会 監修、神田裕理 編、『ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち―天皇制度は存亡の危機だったのか』 P270、273

参考文献

  • 赤坂恒明 最北に栄えた”南朝北畠系”の堂上公家(日本史史料研究会 監修、神田裕理 編、『ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち―天皇制度は存亡の危機だったのか』(洋泉社、2015年)ISBN 978-4800308122



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