大光寺氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 18:52 UTC 版)
大光寺氏(だいこうじし)は、日本の氏族。南部氏の第20代当主南部信時の四男、光康を祖とすると伝わるが異論もある[2]。『糠部五郡小史』によれば、光康の孫の景行が大光寺(現在の青森県平川市)を拠点とし大光寺氏を称した[3]。天文年間には大光寺政行が、大浦氏、北畠氏と並立する大名として、平賀郡を治めていた。戦国時代後期になると、大浦南部氏の大浦為信が津軽にあった諸豪族を滅ぼしていった。大光寺氏も為信の攻撃に耐えられず、大光寺を放棄せざるを得なくなった。大光寺氏の子孫は幕末まで三戸南部氏に仕えて家名を伝えたという。
- 1 大光寺氏とは
- 2 大光寺氏の概要
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