波多野喜右衛門とは? わかりやすく解説

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波多野喜右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 03:23 UTC 版)

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波多野喜右衛門

波多野 喜右衛門(はたの きえもん、1857年7月21日(安政4年6月1日[1])- 1937年昭和12年)3月1日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家衆議院議員

経歴

尾張国東春日井郡、のちの篠岡村、現在の小牧市篠岡に生まれる[3][4]。神谷梅峰に儒学を学ぶ[3][4]。戸長、大草村長、篠岡村長、愛知県会議員、同参事会員を経て[3]1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で愛知県第5区から立憲政友会所属で出馬して当選し、1期務める[5]1921年(大正10年)12月15日、選挙法違反の判決により議員を辞した[6]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、15頁。
  2. ^ 衆議院事務局 1940, 353頁.
  3. ^ a b c 衆議院事務局 1920, 133頁.
  4. ^ a b 衆議院事務局 1940, 352頁.
  5. ^ 衆議院事務局 1940, 352-353頁.
  6. ^ 『官報』第2815号「帝国議会」大正10年12月19日。

参考文献




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