河口房頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 16:46 UTC 版)
寛永20年(1644年) - 正徳4年(1714年)。号は了閑。 もともと下野佐野の出身で、本名は野田房頼。長崎で紅毛外科医として河口良庵に仕え、良庵が五九歳で没した時、養子に入る。良閑は京都で町医者として開業している時に、鳥羽藩主・土井利益に天和元年11月1日に召し抱えられた。さらに藩主に随い唐津へ移る。そのまま長崎で医術をもって土井利益に仕えた。
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