池内博子とは? わかりやすく解説

池内博子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 09:38 UTC 版)

いけうち・ひろこ
池内 博子
プロフィール
出身地 日本 福岡県北九州市門司区
生年月日 (1950-04-08) 1950年4月8日(72歳)
最終学歴 梅光女学院大学(現梅光学院大学)
職歴 山口放送アナウンサー(1973年4月~2010年3月31日)
活動期間 1973年 - 2015年
担当番組・活動
備考
定年退職後(2010年4月以降)は専属パーソナリティとして、引き続きラジオに出演(2015年4月頃まで)

池内 博子(いけうち ひろこ、1950年4月8日[1] - )は、元・KRY山口放送の専属パーソナリティで、元社員アナウンサー。

経歴

福岡県北九州市門司区出身。アナウンサーは子供の頃からの夢で、アナウンサーでは下重暁子宇田川清江(共にNHK)に憧れていたという<ref name="djmeikan">。梅光女学院大学を卒業後、1973年入社[1]

入社以後は主にラジオを中心に活躍し、ラジオ番組のパートナーは和尚(下松市閼伽井坊の住職三池孝尚)や、日本語を話すドイツ人(山口大学教授のマルク・レール)、団塊の世代のフォークシンガー、など個性豊かなキャラクターが多い。 2006年井上雪彦が定年を目前にして急死した後は、KRY最年長アナウンサーとなり、アナウンス室のお母さん的存在として、勝津正男部長を支え、女性メンバーを引っ張った。 旅好きであり、KRYは番組連動の企画としてよく「アナウンサーと行く海外の旅」を行っているが、そのホスト役も亡き井上から引き継いだ。晩年担当した『たび旅ぐるめ・耳がジャンボ』も、それに絡んだものである。しかし、2010年4月で定年となったため、同年3月で全ての担当から外れたものの、長きにわたる貢献が評価され、定年退職後は専属パーソナリティとして、引き続きラジオに出演することになり、2011年より『おはようKRY』の水曜・木曜の担当となり、2015年3月で降板、2015年4月より同番組の戦後70周年企画(戦争や原爆の詩や手記の朗読など)に月1回のコーナー出演をしている。

パーソナリティーを勤めていた「土曜いい朝おはようワイド」の1996年3月2日放送分が第33回ギャラクシー賞ラジオ部門選奨受賞。

夫を1998年に亡くしたことをブログで明らかにしている。

過去の主な担当番組

メインで出演した番組のみを記載

テレビ
ラジオ

脚注

  1. ^ a b 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、270頁。NDLJP:12276264/136 

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