気仙沼町民歌とは? わかりやすく解説

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気仙沼町民歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 05:22 UTC 版)

気仙沼町民歌
気仙沼町の鼎座で開かれた発表演奏会の様子。作曲者の栗原勉が自ら指揮を執っていた。

町民歌の対象
気仙沼町

作詞 土井晩翠
作曲 栗原勉
採用時期 1942年[1]
言語 日本語
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気仙沼町民歌」(けせんぬまちょうみんか)は、日本宮城県本吉郡気仙沼町太平洋戦争中に制定した町民歌である。作詞は土井晩翠、作曲は栗原勉。

解説

1889年(明治22年)の町村制施行当初から町制を敷いていた気仙沼町が1939年(昭和14年)に町制50周年を迎えたことを記念し、詩人の土井晩翠に作詞を依頼して作成された[1]。作曲者の栗原は戦後の1951年(昭和26年)に発表された新民謡「気仙沼小唄」を手掛けたことでも知られる。

完成後、町内の鼎座で作曲者自らが指揮を執り発表演奏が行われた[2]。制定時は太平洋戦争の最中であったが全3番から成る歌詞に好戦的・大時代的な要素は無く、戦後も歌唱が続けられたとされる。

復元

気仙沼町は1953年(昭和28年)に同じく本吉郡の鹿折町および松岩村と新設合併し(旧)気仙沼市が成立した。この時を以て町民歌は廃止され、1968年(昭和43年)選定の市民音頭「気仙沼音頭」や1980年(昭和55年)作成の市民歌「気仙沼讃歌」などの楽曲が作成されている。(旧)気仙沼市は2006年(平成18年)に唐桑町と新設合併して(新)気仙沼市が成立したが、合併協議会では旧市の時代に作成された「気仙沼音頭」や「気仙沼讃歌」の扱いに関しては特に取り決められておらず、後者は2016年(平成28年)の合併10周年記念式典でも演奏されている[3]

合併後の2010年(平成22年)、作曲者の四男が旧町民歌の復元演奏を行い、CDに収録した[4]。同年内には市内の有志が「土井晩翠作詞『気仙沼民歌』を復元させる会」を結成し、2020年(令和2年)には改めて「復元させる会」が新録したCDが作成されている[1]

参考文献

  • 写真集編集委員会 編『目で見る気仙沼の歴史』(気仙沼ライオンズクラブ、1972年) NCID BN12022469

出典

関連項目




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