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武藤互三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 09:56 UTC 版)

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武藤 互三(むとう ごぞう、1866年3月9日慶応2年1月23日[1]) - 1937年昭和12年)1月20日[2])は、明治から昭和時代戦前の政治家実業家銀行家衆議院議員岐阜県郡上郡八幡町長。

経歴

美濃国郡上郡八幡町(岐阜県郡上郡八幡町を経て現郡上市)出身[3]。関谷楠平の三男、関谷貫三の弟として生まれ先代の武藤喜一郞の養子となり、1903年(明治36年)3月、家督を相続する[1]1880年(明治13年)鈴木重遠に漢学を学び[1]1886年(明治19年)岐阜県師範学校1890年(明治23年)東京専門学校法律科卒業[2]。生糸製造業を営んだ[2]

八幡町長、蚕糸業諮問会、中央種繭審査会各委員となる[2]。また第百二十八銀行[注 1]頭取、八幡町仏教慈善会長、県製糸同業組合長、製糸講習所長、大日本蚕糸会、帝国蚕糸会社各評議員、濃飛農工銀行[注 2]取締役となるほか、大谷派本山講頭格に列せられ、同派本願寺会計評議員を歴任した[2]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

脚注

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注釈

  1. ^ 昭和11年廃業。
  2. ^ みずほ銀行の前身行のひとつ。

出典

参考文献




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