武藤仁叟とは? わかりやすく解説

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武藤仁叟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 09:34 UTC 版)

武藤 仁叟(むとう じんそう、1898年8月2日[1] - 1974年[2])は、日本臨済宗。本名は武藤叟(仁叟は僧名)[2]

経歴・人物

川上庄治郎の三男として福岡市に生まれ、武藤曜厳の養子となる。1905年仏門に入る[1]。1918年福岡県立中学修猷館を卒業する[3]

1920年以来数回にわたって渡欧米しており、1930年パリに滞在経験のある画家作家ジャーナリスト実業家の社交団体である巴里会の創立に中心となって参画し[4]、幹事長を務めた。ここで藤田嗣治などと交流している[5]

1943年タイに渡り、日本文化図書館を設立し館長に就任。帰国後、盤谷(バンコク)会を組織し代表者となる[1]

その後、日本タイ協会理事、日本国際連合協会東京都本部常任理事などを歴任した[1]

脚注

  1. ^ a b c d 『人事興信録第25版』(人事興信所、1969年) ム-5頁
  2. ^ a b 大澤広嗣 「対外謀略と経済調査に関わった仏教者 ―近代日タイ関係と佐藤政孝―」 宗教学年報第33輯(大正大学宗教学会、2018年)4頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員14頁
  4. ^ 『人事興信録第19版』(人事興信所、1957年) ム-2頁
  5. ^ 武藤仁叟「コロンバンの壁画」小冊子Bonbon vol8(コロンバン、1961年)(2023年6月24日閲覧)



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