歌楽として伝えるもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/08 04:13 UTC 版)
国内に慰撫の施しをしたとき、このことに悦んだ国民が兜率歌(とそつか)を作ったといい、これが新羅での初の歌楽とされる。また、六部の改組を行った後に、六部を二つに分けてそれぞれに王女を配して二組に別け、7月16日から8月15日までの間、二組が互いに麻を紡ぎ、どちらがたくさん作れるかの競争をさせたという。負けたほうが勝ったほうに食べ物を捧げ、皆で歌ったり舞ったりする「嘉俳」という祭りとなった。負けたほうが感嘆して発する「会蘇」という声色が哀れながらも趣のあるものだったので、この声色に因んだ会蘇曲(かいそきょく)という歌が作られた。
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