樋江井忠臣とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 樋江井忠臣の意味・解説 

樋江井忠臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/26 02:41 UTC 版)

樋江井 忠臣
基本情報
国籍 日本
生年月日 1952年
身長
体重
180 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

樋江井 忠臣(ひえい ただおみ)は、日本の元アマチュア野球選手(投手)。

経歴

中京高校では1年の秋からエースとして活躍。1969年夏の甲子園県予選準決勝に進むが東邦高に敗退。1970年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で鳴門高落合登笹本信二のバッテリーに抑えられ敗退[1]。同年春季中部大会決勝に進むがエース池谷公二郎を擁する静岡商に敗れる。同年夏も県予選決勝に進むが、またも東邦高の水谷啓昭に0-1で完封負けを喫する。

1970年のドラフト会議ロッテオリオンズに1位指名されたが、入団を拒否し[2]、高校卒業後は三協精機に入社した[3]1972年のドラフト会議でも、読売ジャイアンツに8位指名されたが、入団に至らなかった[4]玉井信博がプロ入りした後は、大塚喜代美との二本柱で投手陣を支える。1974年第1回社会人野球日本選手権では、準決勝で三菱重工広島に完投勝利。決勝で大塚が日本鋼管福山を完封し優勝を飾る[5]。その後も都市対抗などで活躍するが故障が多く、伊藤弘利上田芳央ら好投手の加入もあって1978年には一塁手に転向[6]。しかし会社の業績不振により同年に野球部は休止となった。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 【ドラフト会議物語08】島本、湯口、佐伯の高校生ビッグ3は1位で指名【1970年】” (日本語). gooニュース. 2020年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月22日閲覧。
  3. ^ 過去のドラフト 第6回(1970年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2020年6月22日閲覧。
  4. ^ 過去のドラフト 第8回(1972年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2020年6月22日閲覧。
  5. ^ 「日本社会人野球協会会報1974」日本社会人野球協会 1975年
  6. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  樋江井忠臣のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「樋江井忠臣」の関連用語

樋江井忠臣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



樋江井忠臣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの樋江井忠臣 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS