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上田芳央

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/02 06:35 UTC 版)

上田 芳央
基本情報
国籍 日本
出身地 奈良県
生年月日 (1951-04-24) 1951年4月24日(74歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

上田 芳央(うえだ よしお、1951年4月24日 - )は、奈良県出身の元アマチュア野球選手(投手)。

来歴・人物

浪商高等学校では、エースとして1968年に秋季近畿大会に進む。準々決勝では箕島高島本講平に投げ勝つが、準決勝で渋谷通を打の主軸とする平安高に敗退。しかし翌1969年春の選抜への出場を決めた。大会では1回戦で日体荏原高に大勝、自らも満塁本塁打を放つ。2回戦では三沢高太田幸司との投手戦となるが、延長15回の末に辛勝。準々決勝でも日高晶彦らのいた広島商を降す。しかし準決勝では三重高上西博昭に完封を喫した[1]。同年夏は府予選決勝で明星高に0-1で惜敗、甲子園出場を逸する。

明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、同期の今久留主邦明とバッテリーを組み1973年秋季リーグで4年ぶりに優勝、ベストナイン(投手)に選出された[2]1972年第1回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている。リーグ通算42試合15勝7敗、防御率2.26、99奪三振。他の大学同期に投手井上明遊撃手樋野和寿らがいた。

大学卒業後は社会人野球三協精機に進む。1974年都市対抗では、1回戦で日本新薬を相手に先発するが、守備陣の乱れもあって敗退[3]1975年都市対抗にも連続出場するが[3]、その後は朝日生命に移籍した。

脚注

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 東京六大学野球連盟(記録)」(一財)東京六大学野球連盟
  3. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目




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