楽正氏の儒
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この派ももう受験できない。郭沫若の推測によると、「楽正氏の儒者」または孟子の弟子である楽正克は、「孟氏の儒者」の部類に属する。陳奇猷の推測によると、「楽正氏の儒者」または曾子弟子の楽正子春のために、曾子の学を伝えた(陳奇猷『韓非子集釈・顕学』校注を参照)。
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楽正氏の儒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/16 05:01 UTC 版)
『韓非子』顕学篇に、儒家八派のひとつとして「楽正氏之儒」が見える。これがどのような派であったかは明らかでない。ここでいう楽正氏とは一般に曽子の弟子の楽正子春のことと考えられている。ただし、郭沫若は孟子の弟子で「楽正子」と呼ばれている楽正克のことと考えた(『十批判書』(1945)の「儒家八派的批判」)。 武内義雄は、『孝経』の思想内容が『孟子』によく一致すること、『孟子』が引用する『孝経』が『曽子』(『大戴礼記』中の曽子十篇)と一致しないこと、『曽子』が楽正子春の言葉を引いていることから、『孝経』は孟子学派によるもので、それに対し『曽子』は楽正氏の学派によるものと考えた。
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