植田末蔵とは? わかりやすく解説

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植田末蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/17 00:59 UTC 版)

植田 末蔵(うえだ すえぞう、1881年明治14年[1]〉 - 1943年昭和18年[2]〉)は、日本政治家実業家。山口県豊浦郡彦島町[3]山口県会議員[4][5]。植田商事常務取締役[1]。植田合名会社員[1]。植田商店代表[4]。山口県参事会[1][4]

人物

山口県豊浦郡彦島町(現・下関市)出身。彦島海運業、運送業、貸地貸家業、労力請負業などを営んでいた植田惣五郎の二男。長い間町村会議員、郵便局長、郡会議員をつとめた[3]1923年、満場の推選で町長となった[3]。また会社の重役であった[6]

性格は純で、正直な事で有名であった[3]。趣味は釣り[4][6]。宗教は真宗[4][6]。住所は山口県下関市江ノ浦町[5][6]

家族・親族

植田家
親戚
  • 兄・植田松蔵(彦島運輸社長、植田合名会社代表)

脚注

  1. ^ a b c d 『人事興信録 第13版 上』ウ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月15日閲覧。
  2. ^ 『山口県会史 昭和16-21年』181頁。
  3. ^ a b c d 『彦島大観』40 - 42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』山口3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月17日閲覧。
  5. ^ a b 『日本紳士録 第40版』下関ウの部2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』ウ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月15日閲覧。
  7. ^ 『人事興信録 第4版』う19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月10日閲覧。
  8. ^ 『人事興信録 第5版』う25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月10日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 加瀬谷弥一『彦島大観』関門報知新聞社、1926年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 山口県議会事務局 編『山口県会史 昭和16-21年』山口県議会、1971年。



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