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森山信吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 08:44 UTC 版)

森山 信吾(もりやま しんご、1926年11月2日[1] - 1987年12月9日)は、日本通産官僚経営者第二電電初代社長を務めた。

経歴

鹿児島県出身[2]1948年京都大学法学部を卒業し、同年に通商産業省に入省[2]

中小企業庁、福岡通産局石炭部炭政課長、重工業局、1962年ジェトロサンフランシスコセンター[1]、1966年貿易局輸出課長、1967年経済企画庁開発計画課長、1969年ジェトロバンコクセンター所長、1972年通商局政策課長、1973年通商政策局経済協力部長、1974年機械情報産業局次長、1975年資源エネルギー庁次長、1976年貿易局長、1977年機械情報産業局長[3]、1979年資源エネルギー庁長官を経て1983年6月に退官し、京セラ副社長に就任[2]1985年4月に第二電電初代社長に就任[4]

1987年12月9日脳内出血のために死去[4]。64歳没。

脚注

  1. ^ a b 『日本の官庁:その人と組織 上巻』1974年出版 政策時報社
  2. ^ a b c 人事興信所 1985, も97頁.
  3. ^ 『日本の官庁:その人と組織 1978年版 大蔵省・通産省・経済企画庁』1978年3月出版 政策時報社
  4. ^ a b 1987年 12月10日 日経産業新聞 p27

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。 
先代
岸田文武
通商産業省貿易局長
1976年 - 1977年
次代
西山敬次郎
先代
熊谷善二
通商産業省機械情報産業局長
1977年 - 1979年
次代
栗原昭平
先代
天谷直弘
資源エネルギー庁長官
1979年 - 1981年
次代
小松國男
先代
新設
第二電電社長
1985年 - 1987年
次代
稲盛和夫



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