柳ヶ瀬トンネル_(北陸自動車道)とは? わかりやすく解説

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柳ヶ瀬トンネル (北陸自動車道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/16 22:11 UTC 版)

柳ヶ瀬トンネル
概要
位置 滋賀県福井県
現況 供用中
所属路線名 E8 北陸自動車道
起点 滋賀県長浜市
終点 福井県敦賀市
運用
建設開始 1976年昭和51年)6月
開通 1980年(昭和55年)4月7日
所有 日本高速道路保有・債務返済機構
管理 中日本高速道路株式会社
通行対象 自動車
技術情報
全長 上り線 1,272m
下り線 1,322m
道路車線数 2車線
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柳ヶ瀬トンネル(やながせとんねる)は、滋賀県長浜市福井県敦賀市の県境に位置する北陸自動車道のトンネルである。

構造

本線施工に先立つ地質調査結果では、粘板岩砂岩の互層で、亀裂が多く発生し、RQDが20以下であった[1]。在来工法の側壁導坑上半先進工法で施工[1]換気は上下線で縦流式で行われている[2]。坑口は竹割式である[2]

沿革

1976年昭和51年)6月に工事着手し、同年10月に安全祈願祭が挙行され、1977年(昭和52年)12月に導抗が貫通[3]。柳ヶ瀬断層の最も活動の激しい部分の破砕帯を貫くため、膨張性粘土と湧水で工事が難航し、トンネルの全区間にわたって側壁導坑先進工法と先進ボーリングを併用した[4]1980年(昭和55年)4月7日米原JCT - 敦賀IC間の開通と同時に供用を開始した。

避難連絡坑設置

本線の供用開始後に避難用の連絡坑が設置された[1]。避難通路の設置にあたって、本線の覆工コンクリートを一部解体して設置した[1]。施工は昼夜連続車線規制で行われ[1]、重機作業を行う時は脇見運転を防ぐ目隠しカーテンや車両の汚損を防ぐ粉塵防止カーテンを設置しながら施工した[5]

トンネルの崩落防止のため、トンネル内の補強範囲や支保構造の検証は既往の研究や有限要素法による結果を参考に行われた[6]。その結果、本線と避難連絡坑との交差点中心から、本線の掘削径12. 5mを補強範囲にした[6]。また、本線補強工法としてロックボルトを設置し、トンネル内空側へ変位しようとする緩みを抑制させた[6]。このロックボルトの設置は粉塵や削孔水が走行車両と接触しないように、水を使用せず、バキュームで粉塵を直接収集できるクローラドリルで施工した[6]。覆工は健全ではあったものの、地山との境界に空洞が確認されたため、可塑性エアモルタルを充填した[6]。施工の安全管理として、避難連絡坑の掘削による本線トンネルの挙動変化を計測した[6]。具体的な値は補強ロックボルトの軸力、地中変位、本線覆工コンクリートの応力増加量である[6]。施工前に、有限要素法で覆工が限界応力に達する条件を再現し、その時の値から安全管理での管理基準値を定めた[6]。管理基準値に達した時に自動で回転灯が作動するようにし、その時に事前に練られた対応策を施す方針で施工を進めた[6]

本線部の覆工を取り壊す時に、取り壊す部分の周辺でクラックが発生するのを防ぐ対策が行われた[5]。この対策として、クローラドリルで削孔による縁切りを避難連絡坑の内周方向に行った後、250 - 350 mm間隔の削孔と油圧ブレーカによるはつりを併用しながら中心部のコア抜きし、そのコア抜きした部分から外周方向に拡幅する工法で掘り進めた[5]。外周や本線の支保工付近は、コンプレッサーで人力破砕した[5]。本線支保工の切断は、覆工コンクリートの破砕後、計測データから地山が安定していることを確認してから実施した[5]。粉塵対策として散水を十分に行い、一般車両の汚損を防いだ[5]

避難連絡坑の掘削はブレーカによる掘削でNATMによる全断面掘削工法で進められた[5]。営業車線の縦断勾配が上り勾配となる上り線側が掘削の起点となったが、これは通行車両の加速を少しでも抑制させることを目的としたためである[5]。避難連絡坑の起点付近の掘削は施工区域の追越車線内で旋回できないため、小型のブレーカーとバックホウを導入した[7]。その後は大型のブレーカーで施工した[8]。掘削後の吹き付けコンクリートは、掘削の初期は粉塵対策として、付着が良く急結し跳ね返りが少ないPFモルタルを使用した[8]。その後は坑口内にカーテンを設置して、湿式による手吹き施工した[8]。粉塵低減剤を使用したため、粉塵の発生量は少なく、本線トンネル内も縦断風量が十分あったため、粉塵があってもただちに拡散されて営業線に対する影響がほとんどなかった[8]

脚注

  1. ^ a b c d e 高速道路調査会 2015, p. 195, Ⅵ 特色のあるプロジェクト.
  2. ^ a b 日本道路公団金沢管理局 1993, p. 74.
  3. ^ 日本道路公団金沢管理局 1993, p. 145.
  4. ^ 藤田美輝 1980, p. 71.
  5. ^ a b c d e f g h 高速道路調査会 2015, p. 197, Ⅵ 特色のあるプロジェクト.
  6. ^ a b c d e f g h i 高速道路調査会 2015, p. 196, Ⅵ 特色のあるプロジェクト.
  7. ^ 高速道路調査会 2015, pp. 197–198, Ⅵ 特色のあるプロジェクト.
  8. ^ a b c d 高速道路調査会 2015, p. 198, Ⅵ 特色のあるプロジェクト.

参考文献

  • 藤田美輝「北陸自動車道今庄~米原間の工事概要」『道路』第471号、日本道路協会、1980年5月、68-73頁、doi:10.11501/3309149 
  • 『北陸自動車道20周年記念誌』日本道路公団金沢管理局、1993年3月。doi:10.11501/13166589 
  • 『高速道路のトンネル技術史 ―トンネルの建設と管理―』高速道路調査会、2015年5月。 

関連項目

座標: 北緯35度36分14.4秒 東経136度10分25.6秒 / 北緯35.604000度 東経136.173778度 / 35.604000; 136.173778




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