林由一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 23:02 UTC 版)
Yoshikazu HAYASHI | |
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基本情報 | |
名前 | 林 由一 |
生年月日 | 1948年9月12日(76歳) |
国籍 |
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出身地 | 千葉県我孫子市 |
経歴 |
林 由一(はやし よしかず、1948年9月12日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。
来歴
我孫子ゴルフ倶楽部の3番ホールの近くに実家があり、隣に住んでいた1歳年下の海老原清治と仲が良く、海老原は近所では林家にしかなかったテレビで力道山の試合を見せてもらった[2]。
我孫子GC研修生時代の1966年1月には海老原に5番アイアンを譲り、後輩研修生となった海老原が「どう振ったらボールを真っすぐ飛ばせるのか」尋ねてきた際には「(ダウンスイングで)左肘をへその前に着けてクラブフェースを返してみたら」とアドバイスし、言われた通りにスイングした海老原はボールをしっかり捉えられ、ストレートボールを打てるようになった[3]。
1977年のアジアサーキット・インディアンオープンでは初日に坂田信弘らと共に69をマークし、首位のテッド・ボール( オーストラリア)らと1打差2位タイでスタートする[4]。2日目には強風でスコアを崩したが、6アンダー66で一挙に上がったピーター・トムソン(オーストラリア)と並び、高橋勝成と共に日本勢最上位の5位タイに着ける[5]。3日目は4位と1打差で続き[6]、最終日にはトムソン、ミヤ・アエ(ビルマ)と共に通算285で優勝したブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)と1打差2位タイに入った[7] [8]。
1986年のサントリーオープン[9]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ “伝説の名手・林由郎の孫が教える「ネオ・我孫子流」ゴルフ - みんなのゴルフダイジェスト”. www.golfdigest-minna.jp. 2025年3月11日閲覧。
- ^ “【ターニングポイント】海老原清治「“31番目の男”の呪縛に悩まされていた」”. my-golfdigest.jp. 2025年3月11日閲覧。
- ^ “【海老原清治のNO GOLF NO LIFE】プロテストで励ましてくれた3歳下の高校生 「海老さん、何とか通って来てよ!」 …横島由一でした(1/2ページ) - zakⅡ|エンタメ情報の舞台裏を取材し独自の切り口で深掘り”. www.zakzak.co.jp. 2025年3月11日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p17 昭和52年4月1日朝刊17面「インド・オープン トップにボールら」
- ^ 朝日新聞縮刷版p52 昭和52年4月2日朝刊16面「ジョーンズ首位に浮上 インド・オープン第2日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p86 昭和52年4月3日朝刊18面「謝・トムソン首位に並ぶ インド・オープン第3日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p115 昭和52年4月4日朝刊19面「インド・オープン最終日 ジョーンズが優勝」
- ^ “Title to Jones”. The Straits Times (Singapore): p. 27. (1977年4月5日). オリジナルの2021年9月19日時点におけるアーカイブ。 2020年3月16日閲覧。
- ^ “林 由一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年3月11日閲覧。
外部リンク
- 林由一のページへのリンク