林学洙とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 林学洙の意味・解説 

林学洙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 00:42 UTC 版)

林 学洙
各種表記
ハングル 임학수
漢字 林 学洙
発音: イム・ハクス
各種表記(本名)
ハングル 임악이
漢字 林 岳伊
発音: イム・アギ
テンプレートを表示

林 学洙(イム・ハクス、朝鮮語: 임학수1911年7月3日 - 1982年6月21日)は、日本統治時代の朝鮮及び朝鮮民主主義人民共和国の詩人。

岳伊(アギ、악이)。本籍は全羅南道順天市金谷洞。本名は林 岳伊(イム・アギ、임악이)。ただし、系図には林 栄沢(イム・ヨンテク、임영택/林榮澤)と記載されており、そのほか別名は林 乃洪(イム・ネホン)である。

生涯

全羅南道順天市出身。京城第一高等普通学校(現・京畿高等学校)を経て京城帝国大学英文科卒業。 以後、培花女子高等学校などで教員を務めながら詩作。ホメーロスの『イーリアス』を韓国に初めて紹介するなど、翻訳文学者としても活動した。また、朝鮮文人協会の発起人と幹事を務め、戦線への慰問に参加した。

2002年に発表された親日文人42人名簿民族問題研究所が2008年に発表した親日人名辞典収録予定者名簿文学部門に選ばれた。 詩3編と詩集1冊を含め、計8編の親日作品が明らかになっている。

親日反民族行為真相糾明委員会が発表した親日反民族行為705人名簿にも含まれた[1]

そのほか、高麗大学校の教授を務め、朝鮮戦争中に拉致された。

朝鮮民主主義人民共和国では、金日成総合大学で講座長(教授)を務め、朝鮮民主主義人民共和国の文学作品を英語に翻訳することに主に没頭したという。

1960年代までマーク・トウェインチャールズ・ディケンズなどに対する英文学の評論を数編発表したが、詩作はほとんどしなかった。71歳で死去した[2]

脚注

  1. ^ 김재용”. 2007年9月26日閲覧。
  2. ^ 임학수(林學洙)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年9月12日閲覧。

参考文献

  • 권영민 (2004년 2월 25일). 《한국현대문학대사전》. 서울: 서울대학교출판부. 807쪽쪽. ISBN 8952104617.
  • “처음 밝혀진 월북시인 임학수의 행적”. 연합뉴스. 2002년 9월 17일.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  林学洙のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「林学洙」の関連用語

林学洙のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



林学洙のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの林学洙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS