松田敏足とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松田敏足の意味・解説 

松田敏足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 14:02 UTC 版)

松田 敏足(まつだ としたる、天保9年(1838年) - 大正2年(1913年6月19日)は江戸時代後期の国学者、教育者。明治時代の神職[1]

経歴

福岡藩藩士として筑前国に生まれる[1]藩校修猷館に国典を学び[2]京都平田延胤に面談。帰郷して修猷館の国学教授となる[1]

廃藩後、宗像神社(のちに宗像大社)神官を経て、出雲大社権禰宜となり、再び宗像神社権禰宜に戻る[1]

明治12年(1879年)博多新聞、明治14年(1881年)大阪大東日報を起し、明治16年(1883年)帰郷して子弟の教育に当った。門人三千人といわれる[1]

出典

  1. ^ a b c d e 『国書人名辞典 第4巻』(岩波書店、1998年)394頁
  2. ^ 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)63頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松田敏足のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松田敏足」の関連用語

松田敏足のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松田敏足のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松田敏足 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS