松山城受け取り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
備中松山の水谷家では藩主が死に世継ぎもなかった為、水谷家は藩主の舎弟の主水に召し上げられ、松山城は没収される事になった。その際松山城の受け取り役を34歳の大石内蔵助が申しつけられた。 松山城の藩士達は城を枕に籠城討死の覚悟であったが、大石は松山城にたった一人で乗り込んでいき、城代の鶴見内蔵助と会う。そして大石は「藩主への忠義から籠城しているのかもしれないが、城を枕に戦えば藩主の舎弟の主水公に迷惑がかかるのでかえって不忠ではないか」と理を説いた。 これに感服した鶴見は松山城を無血開城する。この功で大石は幕府から加増され、大石の名は全国にとどろいた。
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