松原氏の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/30 20:32 UTC 版)
1577年、5代城主・松原山城守義富は羽柴秀吉率いる織田信長の軍勢と対置することになった。 義富は嫡子貞富と籠城に入ったが、織田軍の包囲攻撃により松原城は落城されてしまった。義富と貞富は脱出に成功したが、城主義富は怒りを治めず、尼が谷まで逃げたあとそこで自害したという。一説によれば、義富は三木城で籠城し、三木城が落城すると北谷村に逃れてそこで帰農して生涯を遂げたとも謂われている。どちらにせよ、松原城が落城することによって武家としての松原氏はその歴史を終えた。 だが、松原氏の血統は絶えることなく続かれ、現在まで存続している。[要出典]
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