松井一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/01 14:10 UTC 版)
Hajime MATSUI | |
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基本情報 | |
名前 | 松井 一 |
生年月日 | 1954年3月30日(71歳) |
国籍 |
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出身地 | 大阪府 |
経歴 |
松井 一(まつい はじめ、1954年3月30日 - )は大阪府出身のプロゴルファー。
来歴
1978年の関西プロでは2日目には68をマークして杉原輝雄・上野忠美・窪田茂と並んでの3位タイ[1]、3日目には内田繁・山本善隆と並んでの2位タイ[2]に着け、最終日には上野・内田と共に松井利樹と並んでの3位タイ[3]に入った。
1983年にはデサント大阪オープンで初日に69をマークして杉原・豊田明夫に次ぐと同時に松田司郎・川上実・宮本省三を抑え、甲斐俊光と並んでの4位タイ[4]でスタートし、最終日には重信秀人・甲斐と並んでの4位タイ[5]に留まった。
1985年にはポカリスエットオープンで倉本昌弘、デビッド・イシイ(アメリカ)、鈴村照男・尾崎直道・金井清一と並んでの8位タイ[6]に入り、京滋オープン[7]で初優勝。
1987年のデサント大阪オープンでは渡辺修・山本善と並んでの4位タイ[8]に入り、1988年には広島オープンで友利勝良・中村忠夫・新関善美・川俣茂を抑えてツアー初優勝[9]を飾ったが、この時に仲間の胴上げで首筋を痛め、その後は左眼の網膜炎で手術したり急性腸炎を起こすなど不運が続きシード権を取ることができなかった[10]。
1989年の関西プロで4打差3位から首位の中村通を捕らえると同時に吉野展弘・中村忠・磯村芳幸・杉原・甲斐俊光・倉本も抑えて逆転優勝し[11]、嬉しいシード入りを果たした[10]が、その後の東海クラシックで上野・中村・湯原信光・横島由一と並んでの6位タイ[12]に入ったのがレギュラーツアーでの最後の十傑入りとなった。
1992年のヨネックスオープン広島[13]を最後にレギュラーツアーから引退し、2004年からは“レギュラーツアー優勝者”によるシード権でシニア入り[10]。
主な優勝
- 1985年 - 京滋オープン
- 1988年 - 広島オープン
- 1989年 - 関西プロ
脚注
- ^ 毎日新聞縮刷版p136 昭和53年8月5日朝刊16面
- ^ 毎日新聞縮刷版p169 昭和53年8月6日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p181 昭和53年8月7日夕刊7面「西は杉原が6度目 関西プロゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p642 昭和58年7月17日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p676 昭和58年7月18日朝刊18面
- ^ “フルリーダーボード ポカリスエットオープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月26日閲覧。
- ^ “京都・滋賀オープンとは”. ks-open.com. 2024年1月25日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p834 昭和62年7月20日朝刊22面
- ^ “広島オープン 1988 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月26日閲覧。
- ^ a b c “2004年シニア選手紹介”. 2023年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月7日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 関西プロ選手権 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月26日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 東海クラシック 1989 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月26日閲覧。
- ^ “松井 一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月25日閲覧。
外部リンク
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