村上義日とは? わかりやすく解説

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村上義日

(村上彦四郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/15 22:35 UTC 版)

村上 義日(むらかみ よしてる)は、鎌倉時代末期の武将。父は信泰。弟に国信および信濃村上氏棟梁の信貞。子に朝日、義隆。官位従五位下左馬権頭。通称は彦四郎。大塔宮護良親王後醍醐天皇皇子)に仕え、鎌倉幕府との戦い元弘の乱における吉野城の戦いで、次男の義隆と共に討死した。史料上は数行の記述が残るのみだが、軍記物語太平記』では村上 義光の表記で登場し、印象的な活躍が描かれ、護良親王の忠臣として知られるようになった。明治時代従三位追贈され、鎌倉宮村上社の祭神となった。


注釈

  1. ^ 『尊卑分脈』原文[5]は戦闘を正月の出来事と誤記している[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g 新井 2016, pp. 137–138.
  2. ^ a b c d e 村田 1997.
  3. ^ a b c d e 梅松論上 1928, p. 107.
  4. ^ 世界大百科事典 第2版. “村上義光”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2020年7月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 藤原 1903, p. 109.
  6. ^ a b 新井 2016, pp. 124–127.
  7. ^ a b c 亀田 2017, pp. 38–40.


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