李廷望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 08:08 UTC 版)
『資治通鑑』によると、元々、節度使であった安禄山の元でその爪牙として知られていた。天宝14載(755年)、安禄山に従い、安史の乱に加わる。陳留を陥落させた時には攻撃に加わり、唐の河南節度使の張介然が安禄山に処刑された後、代わりの節度使に任じられ、陳留をおさえた。 その後、至徳元載(756年)、汴州を占領し、尚衡・南霽雲率いる唐軍と交戦している。それと前後して、令狐潮とともに雍丘攻略に加わり、数カ月にわたって包囲する。雍丘の北部にある襄邑・寧陵を攻撃しようとしたが、城外にでてきた張巡と雷万春と戦い、敗走する。それからの動向は不明である。
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