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杉浦守 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 03:08 UTC 版)

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杉浦 守
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県豊明市
生年月日 (1967-06-27) 1967年6月27日(54歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1985年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

杉浦 守(すぎうら まもる、1967年6月27日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手外野手)。

読売巨人軍で松井秀喜の前に背番号55を背負っていた日本人選手である[1]

来歴・人物

愛知工業大学名電高等学校硬式野球部に所属[2]中村豪の指導を受けた。当時のチームメイトには安達俊也、中村基昭、山﨑武司松久保新吾らがいる。3年夏の全国高等学校野球選手権愛知大会では4番に座り、決勝に進出。阪口慶三率いる東邦高等学校と対戦した。同点の9回裏2死満塁で打席が回ったが東邦のエース田中大次郎との力勝負で内野ゴロに倒れた。チームはその後延長の末敗れた。

高校3年生のとき、1985年プロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。同期入団には桑田真澄福王昭仁らがいる。入団発表会見では王貞治から激励された[3]。巨人軍入団後は多摩川グラウンドで打撃面は町田行彦、守備面は山本和生に鍛えられた。

プロ2年目1987年は、MLBの傘下で野球留学したが、6年間の選手生活で一軍出場は出来ずに引退した。

1985年のシーズンまで吉村禎章が着用していた背番号55を入団時に球団から与えられ、退団まで55番を背負い続けた。杉浦の退団後、チャック・ケアリーを挟んで55を与えられたのが松井秀喜で、松井はメジャーリーグ挑戦まで55番を着け続けた[4]

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 55(1986年 - 1991年)

脚注

関連項目

外部リンク




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