朽網鎮則とは? わかりやすく解説

朽網鎮則


朽網鎮則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/30 15:28 UTC 版)

 
朽網鎮則
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正15年(1587年
官位 左近大夫
主君 大友義鎮(宗麟)義統
氏族 朽網氏
父母 父:朽網鑑康
兄弟 鎮則鎮房(鑑房)、内記
田北鑑重(紹鉄)
統直

朽網 鎮則(くたみ しげのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大友氏の家臣。大友義鎮(宗麟)より偏諱を賜り鎮則を名乗る。

生涯

天正6年(1578年)、大友氏の日向国攻めに参陣せず、父・宗暦と肥後国に駐留。天正14年(1586年)末、島津氏豊後国侵攻(豊薩合戦)に際しては、当初は三船城で戦うが、抗戦しきれずと判断し密かに居城山野城へ撤収。そこで篭城したものの、父の死もあって将兵の士気は低下、翌15年(1587年)1月、開城し島津軍と和睦した。その後河内山へ移って父の骸を岳麓寺に葬っている。同年秋に豊臣秀吉九州平定が始まった際、大友義統は島津に降った者を許さず討伐を決定した。対象の一人となった鎮則は、岳麓寺住職の進言で佐賀関経由で上方へ逃れようとするも、途中の大分市乙津で徳丸筑前守の追手に包囲され、切腹入水した。子の統直は国東郡都甲で討死、他の一族は肥後方面へ脱出したという。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朽網鎮則」の関連用語

朽網鎮則のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朽網鎮則のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朽網鎮則 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS