本能寺の変との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:33 UTC 版)
明智光秀の重臣・斎藤利三(春日局(ふく)の父)の義父で旧主であったが、元亀元年(1570年)に利三は明智光秀に転仕した。さらに、天正10年(1582年)に利三を介して、那波直治を引き抜かれると、稲葉家は訴訟を起こすこととなった。信長は返すように命じたが、光秀がこれを容れなかったため、髷を掴み突き飛ばした。そして、信長は直治を戻し、利三に切腹を命じる裁定を、変の4日前となる天正10年(1582年)5月27日付けで下している(『稲葉家文書』『日本外史』)。
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