本田・藤沢引退劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 16:09 UTC 版)
本田技研がホンダ・N360欠陥車騒動で揺れている中で、藤沢武夫は自身と本田宗一郎の同時引退を画策した。当時の本田は技術者としては曲がり角を迎え、開発技術者たちとの関係も悪化しており、このままではホンダの将来は暗いと考えた藤沢は自身と本田の引退によって欠陥車騒動のイメージを払拭し、環境配慮エンジンであるCVCCの発表によってクリーンなホンダ新時代の印象を構築したいと考えた。 藤沢は本田の外遊中に西田に新聞社などのマスメディアへの「本田・藤沢辞任」のリークを命令し、さらに本田に「そろそろ社長を退いたらいかがでしょうか」と引退勧告を行った(本田は「やっと言ってくれたか」と泣きながらも喜んだという)。この引退劇は後任の河島が若いこともあって当時「最高の引退劇」と言われた。
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