本条約における中国認識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:35 UTC 版)
「チベット・モンゴル相互承認条約」の記事における「本条約における中国認識」の解説
モンゴル、チベットにおける清朝皇帝観は、清帝は文殊皇帝として中国を統治すると同時に仏教の保護者転輪聖王としてモンゴル、チベットを従えている、というものであった。満州人による清王朝では中国は直轄地とされていたが、チベット・モンゴルは冊封関係という主従関係を結んだ藩部であり[要出典]、ダライラマや諸侯たち、モンゴル王公はそれぞれ自前の統治機関を擁してそれぞれの領域を統治しており[要出典]、中国、モンゴル、チベットの区別は明確であり、清帝に従属していても中国の支配をうけているという観念はなかった[要出典]。本条約の冒頭部には、そのような中国観が表れている。
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