木村駿吉とは? わかりやすく解説

木村駿吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 02:13 UTC 版)

木村 駿吉(きむら しゅんきち、1866年11月8日慶応2年10月2日) - 1938年10月6日)は、日本海軍軍属(教授、技師)、教育者特許弁理士[1]第一高等中学校(現・東京大学)教授、立教学校(現・立教大学)教頭、第二高等学校(現・東北大学)教授を歴任。海軍技師として、日露戦争の勝利に貢献した三六式無線電信機を開発したことでも知られる[2]


  1. ^ a b c d e f g 湘南科学史懇話会 『木村駿吉年表』
  2. ^ a b 湘南科学史懇話会 『木村駿吉の業績と生涯』
  3. ^ 古賀 敬太「内村鑑三とその時代(1)―不敬事件」『国際研究論叢 : 大阪国際大学紀要』第35巻第1号、大阪国際大学、2021年10月、21-42頁、ISSN 09153586 
  4. ^ 小松 醇郎 『「幕末・明治初期数学者群像」(下)』吉岡書店 1991/7/1
  5. ^ 南方熊楠. “ロンドンの下宿”. 2024年4月5日閲覧。
  6. ^ a b 安池尋幸/太田現一郎/青木 猛 「横須賀無線史」第2回 -無線電信調査委員の横須賀集結から,日本海海戦,世界初の無線電話機開発まで- RF/ワールド No.41、CQ出版
  7. ^ a b 海軍水雷学校跡碑”. 2024年3月17日閲覧。
  8. ^ 『官報』第7091号・付録「叙任及辞令」1907年2月21日。
  9. ^ 木村駿吉『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  1. ^ 当時の水雷術練習所は練習艦「迅鯨」を長浦港に係留したものがその設備だったので、1904年に庁舎・兵舎などが新築されて練習所が移るまでほぼ唯一の陸上施設であった。[7]


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