朝倉貞景 (4代当主)とは? わかりやすく解説

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朝倉貞景 (4代当主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 08:36 UTC 版)

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朝倉 貞景
時代 室町時代前期
生誕 正平13年/延文3年(1358年
死没 永享8年閏5月16日1436年6月30日
改名 又太郎、孫右衛門尉、為景
戒名 大心宗忠
官位 下野
氏族 日下部姓朝倉氏
父母 父:朝倉氏景
兄弟 貞景、東郷正景、中島景康
教景、頼景
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朝倉 貞景(あさくら さだかげ)は、朝倉氏の第4代当主。室町時代中期に越前国で活動した。

第3代・朝倉氏景の子で、幼名を又太郎、通称孫右衛門、下野守。を為景とも言う。享年79。嫡子の教景が家督を継ぐ。

第4代・貞景についての資料は乏しく、その事跡は明らかとなっていない。福井県の郷土史家である松原信之は、朝倉氏が本拠地を北庄黒丸(現・福井市中央)から一乗谷に移したのは貞景の代と推測している[1]

応永18年(1411年)、飛騨守護代姉小路尹綱が挙兵し、幕府による追討が行われた「飛騨の乱」に際し、越前からも斯波氏の被官(陪臣)であった甲斐氏・朝倉氏が出陣しているが、これは貞景当主の時期に相当する。

子供には、嫡子・教景のほか、北庄家初代・頼景などがいる。

参考文献

出典・脚注

  1. ^ 松原信之:越前朝倉氏の実像に迫る◇著者・成立年代未詳の軍記物「朝倉始末記」を読み直す◇『日本経済新聞』朝刊2017年9月26日(文化面)



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