柳家小ゑん (初代)とは? わかりやすく解説

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柳家小ゑん (初代)

(望月長兵衛 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 05:01 UTC 版)

望月 もちづき 長兵衛 ちょうべえ・初代 柳家 やなぎや ゑん

柳家の定紋「丸に花菱」
本名 上田
→山田
→市川
→山本 権次郎
別名 望月長兵衛
むず権
生年月日 1861年5月17日
没年月日 (1915-11-26) 1915年11月26日(54歳没)
師匠 初代談洲楼燕枝
三代目柳家小さん
初代三遊亭圓右
三代目柳家小さん
名跡 1.柳亭小燕
(1871年 - ?)
2.三代目柳亭小燕枝
(? - 1877年)
3.柳亭錦枝
(1877年 - ?)
4.柳家さん枝
(不詳)
5.柳家枝之助
(不詳)
6.三遊亭右鶴
(? - 1896年)
7.柳家小ゑん
(1896年 - ?)
8.望月長兵衛
(? - 1915年)
活動期間 1871年 - 1915年

初代 柳家 小ゑん(やなぎや こえん、1861年5月17日文久元年4月8日) - 1915年大正4年)11月26日)は、明治時代に活動した落語家 渾名 あだなは体をむずむずさせて落語を演じた事から「むず権」。

来歴 

建具職上田八五郎の子として生まれる。10歳で初代談洲楼燕枝の門下に入り、小燕から小燕枝を名乗る。1877年(明治10年)頃に柳亭錦枝となる。

明治10年代後半(1880年代前半から中盤)に3代目柳家小さんの門下で柳家さん枝から同20年代後半に枝之助となる。

明治20年代末(1890年代中盤)に三遊派にて初代三遊亭圓右の門下で三遊亭右鶴を名乗る。1896年(明治29年)に再び3代目柳家小さんの門下で小ゑんとなった。

大正に入り歌舞伎囃子方に転向し、望月長兵衛と名乗ったという。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • 『古今東西噺家紳士録』

関連項目




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