望月盛時とは? わかりやすく解説

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望月盛時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 23:16 UTC 版)

 
望月 盛時
時代 戦国時代
生誕 文亀4年/永正元年(1504年
死没 永禄4年9月10日1561年10月18日[1]
改名 駒若丸(幼名)、盛時、印月斎栄伝(法名[2]
戒名 鑑光院心安宗伝大禅定門[3]
官位 相模守[3]、遠江守[4]
氏族 望月氏
父母 父:望月盛昌?
相木政信の娘[5]望月千代女[6]
望月信雅[7]?
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望月 盛時(もちづき もりとき)は、戦国時代武将武田氏の家臣。甲斐信濃巫女頭とされる望月千代女が妻と伝わる[6]。信濃国の国人望月氏の当主とされるが[3]、当時の当主として確認できるのは望月信雅である[8]

概要

望月氏は信濃国佐久郡の国衆[8]。盛時は望月盛昌[注釈 1]の子とも[3]武田信玄の甥ともいわれる[6]

天文14年(1545年)4月、甲斐国の戦国大名・武田晴信(信玄)から真田幸隆を使者として送られ武田氏の配下となり、太刀や馬を贈られた[9]。望月一族が武田氏に降ったことにより、佐久郡の諸将もこれに降った[9]

永禄4年(1561年)、盛時は第四次川中島合戦に参陣し、上杉軍の簗田外記の槍に突かれ戦死した[10]。享年58歳[11]

大草家所蔵系図によると、盛時の跡は武田信繁の子の望月信雅が継いだという[7]。なお、確かな史料に見える望月信雅は天文18年(1549年)に望月氏の惣領職を与えられた人物の名であり、この信雅が信繁の子の信頼信永を養子としている[8]

脚注

注釈

  1. ^ 天文14年(1545年)9月13日に57歳で死去したとされる[9]

脚注

  1. ^ 金井 & 望月 1969, p. 93.
  2. ^ 金井 & 望月 1969, pp. 23, 88–89.
  3. ^ a b c d 金井 & 望月 1969, p. 23.
  4. ^ 金井 & 望月 1969, pp. 88–89.
  5. ^ 金井 & 望月 1969, pp. 23, 88.
  6. ^ a b c 中山太郎『日本巫女史』大岡山書店、1930年、707頁。全国書誌番号:47015045 
  7. ^ a b 金井 & 望月 1969, pp. 23, 93–94.
  8. ^ a b c 柴辻俊六; 平山優; 黒田基樹 ほか 編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年、658–660頁。 ISBN 978-4-490-10860-6 
  9. ^ a b c 金井 & 望月 1969, p. 88.
  10. ^ 金井 & 望月 1969, pp. 92–93.
  11. ^ 金井 & 望月 1969, pp. 23, 93.

参考文献

関連項目




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