智清寺とは? わかりやすく解説

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智清寺

読み方:チセイジ(chiseiji)

宗派 浄土宗

所在 東京都板橋区

本尊 阿弥陀三尊

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

智清寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 09:25 UTC 版)

智清寺
所在地 東京都板橋区大和町37-1[1]
位置 北緯35度45分31.1秒 東経139度42分17.8秒 / 北緯35.758639度 東経139.704944度 / 35.758639; 139.704944 (智清寺)座標: 北緯35度45分31.1秒 東経139度42分17.8秒 / 北緯35.758639度 東経139.704944度 / 35.758639; 139.704944 (智清寺)
山号 龍光山[2]
院号 恵照院[2]
宗派 浄土宗[2]
本尊 阿弥陀如来[2]
創建年 室町時代初期
開山 見誉智清[2]
札所等 北豊島三十三ヶ所霊場15番札所
文化財 中用水遺構石橋(板橋区登録記念物)[1]
法人番号 9011405000402
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智清寺(ちせいじ)は、東京都板橋区にある浄土宗寺院

概要

室町時代初期、見誉智清(1440年寂)によって開山された。1784年天明4年)の火災で記録を失ってしまったため、詳細は不明である[3]

境内には、「中用水遺構石橋」と呼ばれる橋の跡がある[1]。「中用水」とは、石神井川から分かれた用水路で、別名「稲付川」「北耕地川」とも呼ばれた(現在は、ほとんどが暗渠化している)。この中用水が、かつては境内を横断していたのである。

他にも「木下藤吉郎出世稲荷大明神」を祀る祠がある。大坂の陣の際、高松半平という浪人が当寺まで落ち延びて、「豊臣秀吉の守護神像」を祀ったのが起源であるという[3]

寺宝等

墓所

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 智清寺のご案内板橋区教育委員会事務局生涯学習課
  2. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 下板橋宿.
  3. ^ a b 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、37-43p

参考文献

  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
  • 馬場憲一 著『板橋区史跡散歩 (東京史跡ガイド19)』学生社、1993年
  • 「下板橋宿 智清寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/33 

関連項目

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