昭徳蔡皇后
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:50 UTC 版)
南朝梁の太子妃。済陽郡考城県(中国語版)(現在の河南省開封市蘭考県)の出身。父は蔡撙。天監7年4月2日(508年5月17日)に武帝の皇太子蕭統の妃となり、後に長男の蕭歓を出産した。中大通3年(531年)の蕭統の死後、蔡氏は金華宮に居住したことから「金華敬妃」と称された。死後の天正元年(551年)に蕭歓の子の蕭棟が侯景に皇帝として擁立されると、祖母であった蔡氏は敬皇后と追尊された。大定元年(555年)に蕭統の三男であった蕭詧が即位する(宣帝、生母は龔保林)と、嫡母であった蔡氏は昭徳皇后と追諡された。
※この「昭徳蔡皇后」の解説は、「昭徳皇后」の解説の一部です。
「昭徳蔡皇后」を含む「昭徳皇后」の記事については、「昭徳皇后」の概要を参照ください。
- 昭徳蔡皇后のページへのリンク