春日出新田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:14 UTC 版)
この一帯は、古くは四貫島浦と呼ばれる葦原であったが、江戸時代の元禄11年(1698年)、大坂の雑賀屋七兵衛によって、5年がかりで開拓された。元禄15年(1702年)に春日出新田と名づけられた。 伝承によれば、新田開発当初に1頭の鹿が躍り出て人々に殺される出来事があり、これを嘆いた七兵衛がその亡骸を手厚く葬り、春日明神を祀った。春日大神の使いとされる鹿が出たことから「春日出」と称したという。なお、この春日神社は明治時代に朝日神明社に合祀され、朝日神明社は変遷を経て当地(一丁目)に鎮座する。 春日出新田は何度かの拡張が行われたが、「桜堤」を築いて浸水を防いだ。桜堤はその後耕作地になったが、清海安五郎によって津波などに備えて再度築堤された。明治19年に建立された「桜堤」の記念碑が三丁目にある。
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